
【特別寄稿:工藤公康氏】なぜ私は今「畑」に立つのか ── 農業から広がる、次世代の育成やセカンドキャリアの可能性
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2026/04/13
工藤公康氏 / 顧問
名古屋電気高校(現:愛工大名電高校)を卒業後、西武ライオンズに入団。以降、福岡ダイエーホークス(現:福岡ソフトバンクホークス)、読売ジャイアンツ、横浜ベイスターズなどに在籍し、現役時代に14度のリーグ優勝、11度の日本一を経験。「優勝請負人」と称され、通算224勝を挙げる。実働29年にわたりプロ野球選手としてマウンドに立ち続け、2011年に正式に引退を表明。2015年から福岡ソフトバンクホークスの監督に就任し、2021年の退任までの7年間で5度の日本シリーズ制覇を成し遂げた。2020年に筑波大学大学院人間総合科学研究科体育学専攻修了。2022年からは同大学院博士課程に進学し、スポーツ医学博士取得に向けた研究および検診活動に取り組んでいる。2024年よりSHAPE Partnersの顧問に就任。
※本記事は、SHAPE Partners顧問・工藤公康氏による特別寄稿です。プロ野球の第一線で数々の栄光を手にしてきた工藤氏ご本人の言葉で、なぜ今畑に立ち、そこからどのような未来を描いているのかをご寄稿いただきました。
なぜ農業なのか? 土に触れて見えた日本のリアル
長年、プロ野球という勝負の世界に身を置いてきた私が、現在なぜ仕事の合間を縫ってまで、畑に立ち、農業に力を入れているのか。多くの方からそんな疑問の声をいただきます。
最初のきっかけは、息子が始めた農業を手伝ったことでした。純粋に土に触れ、自然と向き合う楽しさに魅了され、現在では山梨県北杜市に自らの畑を構えるまでになりました。しかし、実際に現場に入り、地元農家の方々と話していると、必ずと言っていいほど「後継ぎの難しさ」が話題になります。農家の多くが人手不足という深刻な課題に直面していることを肌身をもって理解し、楽しいからだけではなく、自分自身、日本の農業を守るためにできることをしたいという想いにかられました。
実際に、今の現場を懸命に支えてくれているのは、海外から日本に働きに来ている若い方々です。彼ら、彼女らがいなければ成り立たないほど、農業の現場はギリギリの状況とも言えます。
スーパーに行くといつでも綺麗な野菜が並んでいますが、それは決して「当たり前」のことではなく、そうした深刻な課題に直面する中でも活動してくださっている農家の方々の並々ならぬ手間と、綱渡りのような努力の上にようやく成り立っているものなのです。
このような状況に対して、「足りないのであれば、輸入に頼ればいい」という考え方もあるようですが、それ以前にどのように日本の農業を守り、広げていくかという本質的な課題に向き合うべきだと私は考えています。そのためにも、まずは私自身が現場を理解すべきという想いで、農業に勤しんでいます。
農業体験が育む、子供たちの「生きる力」
この農業への想いは、そのまま「次世代を担う子供たちへの教育」にも繋がっています。
なぜ農業と教育が結びつくのか。それは、今の便利な世の中で育つ子供たちが、「食べ物がどこからやってくるのか」という背景を知る機会を失っていることに課題を感じているからです。スーパーに行けば何でも手に入る環境しか知らないまま大人になってしまえば、いざという時にどうやって命をつなぐのか、その想像力すら持ちにくくなってしまいます。
だからこそ、子供たちには、野菜がどうやって作られているのか、どれだけの手間がかかっているのかを現場で体感してほしいのです。その原体験は、日々の食べ物への感謝を生むだけでなく、「自分の手で生み出すことができる」という、生き抜くための本質的な強さ(生きる力)を育んでくれると信じています。
現在、SHAPE Partnersの皆さんとは「次世代の生きる力を養う」ための取り組みを具体的にスタートさせています。その一つが、私の想いと同じく、子供たちの生きる力を育てることを目的に活動している野球教室「パイラスアカデミー」との共同プロジェクトです。所属する子供たちに向け、野球教室と農業体験を掛け合わせた場を提供しており、私の畑に彼らを招いて、泥だらけになりながらネギや芋の収穫をしてもらっています。
普段は都心で暮らす子供たちが、自然の力に触れ、仲間と協力して一つのものを「収穫する」というプロセスには、作られたものや与えられたものをただ消費するだけの日常では得られない学びがあります。その時の彼らの満面の笑顔を見るたびに、こうした体験がいかに大切かを痛感します。
世の中には華やかな職業にばかり注目が集まりがちですが、農業でも漁業でも、何かを「みんなで作る」という泥臭い経験こそが、子供たちの未来の選択肢を確実に広げてくれます。だからこそ、私たちが率先して、彼らが思い切り遊んで学べるフィールドを提供していきたいのです。
「長期的な視点」を養う場所が、アスリートのセカンドキャリアを救う
実は、この「時間をかけてゼロから作物を育てる」という農業の特性は、子供たちの教育だけでなく、スポーツ界が抱えるもう一つの大きな課題を解決する糸口にもなっています。それが、アスリートの「セカンドキャリア支援」です。
日本のスポーツ界では、真面目に「スポーツ一筋」で取り組んできた若者ほど、引退して社会に出た際に戸惑ってしまうことが少なくありません。パソコンのスキルや一般的なビジネスのコミュニケーションに触れる機会が少なかったことも要因の一つですが、より根本的な理由は「求められる時間の感覚」の違いにあると考えています。
アスリートは、今日、明日の「目の前の勝負」に勝つことへ常に全力を注ぎ、命を懸けて生きてきました。一方で、一般的なオフィスワークやビジネスの現場では、3年後、5年後を見据えた長期的な計画や視点が求められます。この「短期集中」から「長期的な計画」への思考の切り替えが、アスリートにとっては高い壁となっているように感じます。
彼らは決して能力が低いわけではありません。ただ、このルールの違いを学ぶ機会がないまま、引退後にいきなり「長期的な視点を持ち、企業の一員として働くこと」を期待されるのです。だからこそ、目の前の勝負に全力を投じていたアスリートには、時間をかけて社会のルールに馴染み、思考を転換するための「助走期間」が必要です。
では、なぜその助走期間の受け皿が「農業」なのか。それは、農業が「長期的な視点」を養うのに最適な環境だからです。農業は自然相手であり、今日明日ですぐに結果が出るものではありません。半年先、1年先の収穫を見据えて、日々の天候や土壌を観察し、計画的にコツコツと作業を積み重ねる力が求められます。
まずは農業という土俵で、アスリート時代に培った持ち前の体力や集中力を活かしながら、少しずつ「長期的な視点」や社会との関わり方を学び直していく。そうしたステップを踏める環境を作ることは、「スポーツしかできない」という偏見をなくし、ひいてはスポーツ界全体の価値を高めることにも繋がると信じています。
未来へ向けて、泥臭く一歩ずつ
農業という現場を知ったからこそ見えてきた、子供たちの教育とアスリートのセカンドキャリア支援という2つの機会。これらは一見別の取り組みに見えますが、「時間をかけて、日本の未来の土台をどう作っていくか」という根っこで深く繋がっています。
農業を起点に、子供たちの未来の選択肢を広げ、スポーツ界の次のステージを支える。道のりは決して簡単ではありませんが、思いが一致しているSHAPE Partnersという心強い仲間と一緒ならば、必ずポジティブな変化を生み出せると確信しています。
これからも、次世代の子供たち、そしてスポーツ界の未来のために、泥臭く一歩ずつ前へ進んでいきたいと思います。

